湯どうふ

『ファースト・マン』をみる

宇宙開発と人種

アメリカはソ連に対抗して宇宙開発を推し進める。しかし、必ずしも、国民とメディアから、完全なる支持を受けていたわけではなかった。

宇宙開発は冷戦の象徴として、今日では思い出される。外から見ると、月面着陸というインパクトにその時代そのものが象徴されてしまうが、当時のアメリカ国内の世論は複雑である。人種差別の問題を抱えていた。ベトナム戦争もあった。国内に貧困の問題がありながら、何が宇宙開発かという世論も一定数存在した。

「当時、宇宙開発を中心的に行っていたのは、白人である」という描写がある。確かに、宇宙に行っていたのは白人である。「白人が宇宙に行くのに、黒人は明日の食事もないのか」という怒りのデモが繰り広げられる。

確かに、映画に登場するNASA関係者はみな白人である。20世紀中盤の宇宙開発は白人による物語であったことに気づく。私が生まれた頃には、すでに日本人宇宙飛行士は存在したし、その前から、黒人の宇宙飛行士もいたので、宇宙開発と人種という視点を初めて持ち合わせた。

宇宙開発と予算

議会からは、宇宙開発の予算が無駄であると、指摘を受ける。NASAの関係者、宇宙飛行士もロビー活動に出向く。今日でいう、サイエンスコミュニケーションのはしりである。

あのアメリカでさえ、そのような意見があったことに、ある意味安心する。普通の国だったんだなと言う安心である。日本だったら、国策に反対する発言は憚れがちであるので、多様な意見が保証されることに憧れる。

しかし、忘れてはならないのは、ファーストマンの世界は50年前のアメリカである。それから50年後の今日の日本における世論環境を比べるのはフェアではない。

宇宙開発と人命

当時の宇宙開発における、最大の問題は、人命への向き合い方である。当時は最新技術であったとはいえ、今日の安全水準と比べると、月とスッポンである。人命に関して言えば、現代では考えられないレベルでリスクを冒したミッションである。今日の我々の目線から見ると、到底許容できないレベルの話である。

宇宙開発と個人

映画では、ニール(アームストロング)という呼称が徹底される。日本人にとっては、アームストロングという強そうな名前のおかげで、ファーストネームの印象はゼロだと思う。ニールと呼ぶことで、ニールの視点で物語が進むことが強調される。