湯どうふ

海外で博士課程をしている人と話をして思ったこと

筆者には幸いなことに、海外で博士課程をしている先輩がいる。この前、久しぶりにお会いして話をさせてもらったときに、思ったことを述べる。

身の回りの多様性

まず感じたことは視野が広い。日常的に多様な専門の博士課程学生とコミュニケーションする機会がある。

私の分野では、全国に散らばる博士課程学生は20人弱程度である。しかし、先輩のいる大学には、一つの大学だけで、それ以上の人数の博士課程学生がいる。

私の大学に交換留学で来る海外の学生と話すと、毎回、日本の学生の少なさに驚かれる。

研究分野観

視野が広いので、学問・社会を大局的に見ようとしている気配が伝わってきた。

アジア近辺では、あまり聞いたことのない分野の話をたくさん聞いた。どれも面白そうで、研究の動機や目的も、なるほどなと感じさせるものばかりであった。

アジアでは競争的で、インパクトファクターが高く、論文を量産しやすい分野に人間が偏っていると指摘を受けた。しかもトレンドに左右されやすい。餌を求めて集団で飛行するバッタのようなものである。似たような分野どうしが集まって、フォードのごとく、効率的に論文を大量生産する姿勢に嫌悪感を覚えるとまでいわれた。

確かにそうかもしれない。自分自身がまさにそうだからである。今の研究のトレンドは何かとかを、気にしすぎているのかもしれない。

改めて日本は

学問の前線は伸び切っている。でも、後続には誰もいない。

私は自分の分野しか知らないが、国内の日本人研究者は非常に少ない。少子化だから、大学が減るのは理解できる。でも、大学の研究者というのは単なる子供に付随するおまけなのだろうか?

今の日本の状況は、長い長い万里の長城のごく一部に貴重な研究者が集まっているようなものである。つまり、がら空きなのである。少ないなら少ないなりに、もう少し万里の長城上に、均等に研究者を割り当てられないだろうか?

学術研究を単なる点取りゲームに堕してはいけない。