湯どうふ

感想「シンゴジラ」

 

シン・ゴジラ

シン・ゴジラ

 

 私にとって、本作シンゴジラが初ゴジラであった。これまでの人生においてゴジラをみたことがなかった。ゴジラといえば松井秀樹選手であるということは知っていた。伊福部昭の音楽も知っていたが、たまたま機会がなければ旧作のゴジラをみることなく数十年を生きてしまうのである。

シンゴジラは官僚と行政の映画であった。私は過去に国家公務員総合職試験を受験したことがあり、一時期はキャリア官僚を目指していた。

 

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いろいろな事情があって、今はキャリア官僚ではないが、シンゴジラが上映されていた時は、まだ官庁訪問に行く資格を有していたので、シンゴジラに対処するために必死に動き回る事務官・技官たちをみて、一瞬気持ちがゆらいだ。

「自分も日本の存亡の危機を救いたい」と。

でも、私が官庁訪問を突破して、キャリア官僚になったとしても、おそらく現役中にシンゴジラは日本に上陸しないだろう。これまた、瞬時に気を取り戻して、結局は官庁訪問に行くことはなかった。

しかし、日本が存亡の危機に陥る可能性は、非常に高いと思っている。特に、太平洋側を中心に大規模な地震津波による災害が予想されるからである。これは、きわめて現実的な話である。南海トラフ地震、首都直下型地震などは、起こって当たり前であると考えるべきである。もちろん、そのほかの災害が発生する可能性も常に頭に入れておかねばならない。

国家公務員としてこれらの災害に対応するという崇高な仕事をしてみたいと思ったというのが、シンゴジラを見た時に率直に思った感想である。しかし、それを選ばなかった。それは、日本存亡の危機を救うのは官僚だけではないと考えたからである。官僚には官僚の役割があり、民間には民間の役割がある。

社会の割合から言うと、民間の割合が圧倒的である。これはごく当然な話で、行政というのはあくまで、民間が活動しやすい世界を作ることが使命なのであり、主役は民間である。

民間が主役であり、民間がしっかりしなければ社会はよくならない。日本にいると忘れがちな事実であるが、これに立ち返って、社会を支える主役である民間の立場から、日本をよくしたいと思った、というのがシンゴジラが私の進路に与えた結果である。