湯どうふ

お受験と差別

若い人の間で、差別的・侮蔑的な言葉がまかり通ることに、強烈な違和感を覚える。一般的に、差別されたり、侮辱されたりするのは、社会的に弱い立場にいる人、あるいはマイノリティーである。

今までの人生の中で、そのような人たちと友だちになった経験はなかったのだろうか。仮にあったとすれば、そのような言葉を口に出すことは、決してないだろう。

何の気なしに、そのような言葉を使うのは、いろいろな人たちと、直接触れ合った経験が少ないからだと思う。

注意しなければならないのは、同質的な空間に長くいる人である。例えば、小学校、中学校から受験を経験した人は、自分たちと「違う」人たち、子たちと触れ合う経験が少ない。

私は、いわゆる「お受験」を経験したことがないので、お受験をした知り合いから間接的に経験を聞くしかない。彼らによると、お受験して入った学校は、自分と似た境遇、似た興味関心の子どもたちが多いので、楽しいらしい。家庭環境もある程度、裕福であることも影響するだろう。最近はやりの、子供時代の文化資本の話とつながる。

私が自分と気の合う人が身の回りで増えていく経験をしたのは、高校と大学に入ったときである。高校⇒大学と段階的に、自分との似ている度合い、話が合う度合いが研ぎ澄まされていくような感覚があった。

多様さがカオスかつ混とんとしていた、公立校にも楽しいところはあった。しかし、ここでいう「楽しさ」はお受験して入った学校で経験するものとは少し違う気がする。楽しいと感じる者もいれば、楽しくないと感じる者もいた。私は楽しくないと感じるほうだった。

公立校では、必ずしも、すべての人が大学に進学するわけではない。ましてや、高校にもいかない人もいる。マニアックな会話ができるわけもなく、都会で同級生が塾で勉強しているときも、日が暮れて真っ暗になるまで、野山を走り回って時間をすごすのである。

友だちで勉強が好きな人はあまりいなかった。なので、友だちと勉強の話をする機会はほとんどなく、遊びの話ばかりだった。遊びについては、心の底から興味があるわけではなかった。ただただ、周りがやっていたからというだけのことである。ただし、それに対して不満に思うことはなかった。なぜなら、自分と話の合う人と会ったことがなかったからである。

当時は、東京の子どもはお受験をしているという知識もなかった。小学校・中学校と全く勉強をしておらず、大学入試に向けて大きな差がすでについていることを認識することもなかった。なので、当然あせりもなかった。

今から思えば、勉強に関して言えば、長い小学校・中学校の間、何をしていたんだと思うことはある。でも、公立校というカオスな環境で生きてきた中で、いろんな人がいると肌身で知ることができたことはとても良かったと思っている。

世の中にはいろんな人がいて、社会の中で一緒に生活しているんだという当たり前の事実を身体感覚として得られたことは、公立校のよさである。

と言いつつも、お受験を経験した人は差別的になるかもしれないという考え方そのものが差別的なのかもしれない。