湯どうふ

『葬られた危機~イラク日報問題の原点~』を視る

名古屋のテレビ局メーテレが制作したドキュメント番組である。

湾岸戦争が開戦される直前に、日本政府は湾岸地域に「中東貢献船」を派遣することを模索する。しかし、日本の海員組合ならびに船会社はこれに反対する。

背景には、先の大戦において、民間船員の犠牲と民間船舶の損失があった。詳しくは、神戸元町の「戦没した船と会員の博物館」、横浜馬車道の「日本郵船歴史博物館」などで。また、メーテレは過去に「防衛フェリー~民間船と戦争~」という番組を制作している。

番組から受け取った内容

  • 「安全な」地域に限って、民間船および民間船員を派遣するという当初の政府の説明とは異なり、船長・船員らは、実際に荷揚げ地に着港するとそこは戦場であったと話す。ロケットが撃ち込まれたとのこと。
  • 「中東貢献船」"きいすぷれんだあ"が荷揚げする直前に湾岸戦争が開戦した。"きいすぷれんだあ"にはアメリカ軍の兵站担当の将校が乗り込んで、アメリカの指揮の下?航行した。
  • 荷揚げ地は日本側が事前に危険だと認識していた場所にあった。日本側の論理では荷揚げできなかったが、アメリカが荷揚げを要求した。船員に対して、途中の港で下船して、帰国してもよいと呼びかけたが、下船するものはいなかった。
  • 荷揚げ地に入港するとき、船に乗り込んできた水先案内人(パイロット)が防毒マスクを所持していて、「よく来たな」という趣旨のことを言われたと、当時の船長が回想する。当時はイランが化学兵器を使用することが警戒されていて、入港後に船員らも防毒マスクの着用を練習した。
  • 荷揚げ地に到着後、船の上空で2つのパトリオットミサイルアメリカ軍によって迎撃された。船にいたアメリカ軍関係者が泣いていて、将校が背中をさすっていたという目撃談が印象に残った。
  • 船長は帰国後、航海の記録を報告書として外務省に提出?したものの、それに対する反応はなかった。極秘扱いにされていたらしい。番組では、これをいわゆる「イラク日報問題」につながる、事実の「隠ぺい」であると指摘する。
  • 当時の政府が情報開示に対して消極的な様子が描かれる。昔の政府・官僚らしさがでていた。
  • 二人の元官僚が「何もなかったからよかった」という趣旨の発言をしていたことが印象に残った。日本らしいと思った。

感想

  • 今回の問題に限らず、何もなければすべてよしという考え方はよくないと思う。今も昔も日本に通貫するものの考え方であり、合理的ではない。
  • 兵站は戦争である。運ぶ対象は問わない。