湯どうふ

明治期における官立高等教育施設の群像

ハイライト

  • 東北帝国大学農科大学は同理科大学より4年先に開校した。
  • 第二高等学校は、一高、三高、山口に次いで、全国で4校目の高等中学校として開校した。
  • 東京開成学校と東京医学校の英語表記はそれぞれTokio Kaisei-Gakko, Tokio Medical School Schoolらしい。

『明治期における官立高等教育施設の群像』を見に行く。国立近現代建築資料館で開催されている。2012年竣工の建物なので新しい。

もともと旧制の学制に興味があった。しかし、旧制の学制を体系的に学ぶ機会は初めてである。時系列的に学ぶ構成となっているため、旧制の学制の発展過程とその時代時代の論点を抑えることができる。

印象としては、教育施設を整備するスピードが遅い。当時は国の予算も不足しており、日清戦争の賠償金、地方自治体による出資、篤志家による寄付によって、施設が整備される場合が多かった。

加えて、当時の営繕設計は官庁技術者が担ったため、技術者の供給が不足していたという側面もあっただろうと推測する。

今日では、学生の人数、世間の景気動向によって、学校の入試、就活の難易が変わる。特にバブル崩壊以降の90年代では、景気の悪化に加えて、ベビーブームとも重なり、就活市場は悲惨を極めた。

明治の初めは教育施設の整備段階であり、機会が与えられなかった才能も多かっただろうと推測する。まさに運が多くを規定する時代である。

旧岩崎邸庭園に隣接している。かつては、岩崎邸の敷地内だった。旧岩崎邸は約12,000坪であった。

展示はすべて無料である。基本的に館内は撮影不可であるが、二箇所のみ撮影できる。

図録を事務室で無料で配布している。しっかりとした、装丁である。なぜ、これほどまでに無料なんだろうと疑問だった。f:id:covariance:20190105215941j:image