湯どうふ

公務員試験の未来

公務員試験についてはいろいろと考えることがある。一人の市民・国民として、そしてかつての公務員受験生としてである。日本は行政中心に回っていることは、多くの人が思うことであると思う。長年、日本は優秀な官僚によって支えられてきた。つまり、日本の社会が継続するためには、継続的に優秀な官僚が行政機構に供給され続けなくてはならない。しかし、この点について懸念がある。

まず、少子化の影響である。日本の人口は減少局面にあるが、人口全体の減少スピードと大学生の減少スピードを比べると、後者が卓越するのは直感的にも明らかであると思う。つまり、新たな官僚として供給したい人数に対して、官僚候補者として公務員就活市場に参加する人間の数が相対的に少なくなるという事態が懸念される。

官僚は優秀でなければならない。なぜなら、官僚に要求される仕事量は多く、求められる能力も高いからである。私は優秀な人間というのは、ある母集団の名から一定の割合で生まれるものだと考えている(もちろん違う可能性もあるが、調べるすべと時間をもたない)。この私の仮説が正しいならば、官僚として供給される人間の能力の期待値は年々小さくなることが懸念される。

次に、民間の労働市場とのかかわりである。若い人材が不足する事態が今後も継続することは想像に難くない。かつての就職氷河期は社会の景気の問題もあるが、人口構成の問題も含むと考えるためである。したがって、求職者側有利の情勢が続くことが予想される。つまり、求人者間で緊張関係が生じる。民間と公務との間で、人材をめぐって緊張状態になる。この状況は現在も起きていることである。私は工学しか知らないが、経済学における経済人であれば、確実に民間を選択するだろう。民間が先に学生と面接をするというだけではない。労働条件においても、民間が優位に立つケースが多いからである(官僚を目指そうという人の周りの世界の場合)。よほど、公共への奉仕を希望する崇高な志を持つ人間によって、今日の技術官僚の定員が充足されていると考えるべきだろう。

私はいい加減、やりがいを訴えかけるだけの公務員募集をやめるべきだと考える。もちろん、崇高な志を持つ人間のことを大変尊敬している。そういう人間こそが公務員になってくれることを強く望んでいる。しかし、私が思うことは、このような人材が存在することに、公務員組織自体あるいは社会が甘えてはならないということである。やりがいを就職のモチベーションとすることは、とても不安定なことだと考える。やりがいはそれぞれの人の心の中にあり、定量化できるものではない。組織全体の「やりがい」をどのように把握するのか?もし、全体の「やりがい」が低下していることにきづけず、あるいは「やりがい」が下がっている職員が多そうな組織だけど、まだ大丈夫だろうまだ大丈夫だろうと、だましだまし組織を回しているときに、プツンと切れるように「やりがい」が消滅して、組織が立ち行かなくなることを大きく懸念する。

解決策は、公務員の労働環境、労働条件を定量的に改善することである。就活は入ってみないとわからないことが多すぎる。特に「やりがい」などは一番わからないもののひとつである。就職前に正確にわかるものは、定量的なものだけである。優秀な官僚を募集するためには、少なくとも労働環境・労働条件において、民間と勝負するようでなければならない。

 

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