湯どうふ

ズームイン朝のオープニングの緊張感

今年の24時間テレビで、日本テレビの歴代の朝番組の司会者が横並びであいさつしていた(徳光、福留、福澤、羽鳥、桝の5氏)。年をとるといわゆる「昔がよかった」状態になるので、自らのバイアスを戒めなければならないのだが、それでもかつてのズームイン朝を懐かしく思ってしまった。

ズームイン朝といえば、7時冒頭の系列各局のアナウンサー総登場の場面がハイライトである。系列各局が割り当てられた短い時間をきっかりと守り、それぞれ工夫をこらして地域を紹介するのが、とても楽しかった。

当時は、視聴者として当たり前の光景としてみていたが、今日では系列を生かした番組をあまり見なくなったように思う(民法では朝日放送の旅サラダなど)。アナウンサーは晴れ渡るようなどこかの高原で、笑顔でかつ早口・正確に話しているが、視聴者としては現場の緊張感が伝わってきた。

私はテレビは画面が緊張してなんぼであると思っている。昔はテレビにでることは大ごとだった。『ちびまる子ちゃん』にも昭和の子供がテレビに出演する回があったかと思うが、ドリフにしろ、ベストテンにしろ、画面の緊張がお茶の間にまで伝わってくる。

私は最近、テレビをほとんどみない。昔と比べて、忙しくなったのもあるが、一番の理由は画面から緊張を感じなくなったからである。多チャンネル化が進んだこと、メディアの数が爆発的に増えたこともあり、テレビの地位、特に地上波の一テレビ局の放送の地位はかつてとは比べ物にならないくらい低下している。私はその原因の一つが、画面に緊張感がなくなったことだと思う。地上波放送の地位が低下したからこそ、画面の緊張感がなくなったともいえるので、両者の関係は鶏か卵かの話になる。

ズームイン朝については、放送技術の地方への伝播・向上の意味でも大きな貢献があったと予想するが、この件については、また改めて考えたいと思う。