『さらば、GG資本主義』を読む

 

 

筆者の言う「GG資本主義」とは、20世紀的な企業観・価値観とも、読み替えられると思った。

GG資本主義はいずれ、若い人から選ばれなくなるだろう。つまり、優秀な人材がGG資本主義的な会社に入らない、あるいはいったん入ったとしても、ばからしくなってすぐに転職するということが起きるのではないか、と思っている。そうして、GG資本主義は自然淘汰されるかもしれない。今は、市場と人材がグローバルなので、外圧により淘汰される可能性もあるだろう。しかし、日本のことを考えると、内圧によって転換あるいは淘汰(無血開城的な)されるのが、望ましいのだと考える。

世界を代表する内資メーカーでも、非効率的な時間と人材の使い方を行っているという話を伝え聞く。巨大な船はエンジンを切っても、慣性のため、陸上の交通機関とは比べ物にならないくらい、長い距離を移動する。しかも、操船も困難になるので、港に入るときには、船長自らが操船して(もし船長がいれば)、岸壁へと船を近づけていく。

本書の冒頭で、積水ハウスセブン&アイの事例が紹介されていた。恥ずかしながら、ニュースをフォローしていなかったので、初めて詳しい話を知った。「うーん」という感想しかない。この一連を、それぞれの従業員、特に若い従業員はどのように見ていたのだろうと気になった。目の前の仕事に忙しすぎて、あるいは雲の上の話過ぎて、あまり関心はなかったかもしれないが。

筆者がこれからの日本社会に求めるのは「自立」という言葉に集約されると考えた。「虎」になれ、というのは自立した働き方を目指せということである。私の中で、封建社会とは、所有と所属が幾重にも重なる構造、つまり責任があいまいな構造のことだととらえている。江戸から明治、戦前から戦後にかけて、段階的に社会の封建性はなくなりつつあるが、封建のシンボルがなくなった(ように見える)にすぎないだけで、実際の現代社会には多様な封建性が生き残っていると思う。

「自立」した労働者というのは、企業にとっては、生産的な存在として魅力的に映るかもしれないが、社内の封建制を崩す存在でもあるので、当然社内の賛否は分かれるだろう。上下関係がはっきりした仕事、決められたことをミスなくこなすことが、仕事の最善である業種では、自立した働き方は求められないのかもしれないが、その他大勢の仕事では、自立は不可欠である。

「自立」は投資においても同じである。以前、筆者の話で(テレビか本かは忘れた)、投資とは自立であるという言葉を知った。多くの国民は経済的に自立していない。自らの資産をどのように処理するか、あるいは自らの税がどのように支払われているのか、という極めて重要な問いへの対処を外部化しているという指摘である。「自立」していないがために、リスク回避的な経済行動が至上であると、口だけでは標榜しているような人であっても、肝心な金融商品の選択を人に任せてしまい、リスク愛好的な!金融商品を知らず知らずに購入してしまっていたりする。

税についても、知らず知らずに会社が払っているので、自らの税についての関心が低く、リスク愛好的な投資案件に税が使われていることに気が付かない。

「自立」とは、みずからのリスクをみずからで引き受けることであると思っている。多くの人は、リスクを回避するために、自らに降りかかるリスクへの対処を「専門家」に任せている。これが、これまで一般的な考え方であり、「自立」していない生き方である。しかし、リスクを取りにいかないこと、自らのリスク管理を他社に依存することこそがリスクであると思う。自立しないことこそがリスクであると、本書を読んで改めて考えた。