宮脇俊三『時刻表昭和史』

 作者である宮脇俊三は20世紀を代表する鉄道ファンです。氏の最大の功績は、鉄道趣味を一般化させたことです。特に、国鉄全線乗車や最長片道切符といった概念を世間に広く知らしめたことで有名であり、以下の著作が知られています。 

時刻表2万キロ (河出文庫 み 4-1)

時刻表2万キロ (河出文庫 み 4-1)

 
最長片道切符の旅 (新潮文庫)

最長片道切符の旅 (新潮文庫)

 

上の2冊は、宮脇俊三の代名詞のように扱われています。しかし、私にとっては、『時刻表昭和史』こそが氏の最高傑作であると考えています。なぜなら、本書はさまざまな奇跡が重なることによって生まれたものだからです。その奇跡は以下の3点に集約できます。

  1. 戦前・戦中・戦後を通して、自由に列車に乗ることができた
  2. 戦争を生き延びることができた
  3. 幼年・少年・青年の各時代における鉄道経験を自らの言葉で記述できた

 以上の3点の奇跡について、以下に詳述します。

戦前・戦中・戦後を通して、自由に列車に乗ることができた

著者は戦前・戦中・戦後を通して、当時の一般的な日本人と比較して自由に列車に乗ることができました。著者は陸軍大佐をへて、衆議院議員を務めた宮脇長吉の子として生まれます。父・宮脇長吉は香川県を地盤とする衆議院議員でしたので、鉄道を利用して、地元と東京を往復します。そのため自宅には時刻表があり、著者は幼いころから時刻表に慣れ親しんできました。著者は裕福な家庭に育ったため、幼いころから父の地元香川などへ旅行する経験に恵まれました。また、幼少期を東京・渋谷で過ごしたため、現在の東急電車、山手線など、さまざまな鉄道・軌道に日常的にふれあいながら育ちました。

時代に戦争の影が強まると、次第に鉄道による旅行が困難となります。特に、長距離の旅行が規制され、きっぷを手に入れることが難しくなりました。そんな中でも、著者には、事業をしている父親や運輸通信省に勤める親戚などが身近にいたため、鉄道を利用することができました。

また、著者は中学・高校において、政官の有力者の子息と机を並べていたため、彼らを介してきっぷを確保したこともありました。本書において、特に興味深いのは、著者が友人との会話を通じて、戦争の経過の実際を認識していたという記述です。当時、軍部が世間一般に対して報道していた戦争の経過には事実とは異なる内容が含まれていました。しかし、著者らは軍部が発表しない内容、つまり高級官僚等のみが知っている事実を認識していました。著者がたくさんの鉄道経験を得たこととあわせて、当時の日本においては、さまざまな世界があり、世界によって経験できる内容、認識している世界観が異なっていたことが強く印象付けられます。

終戦直前に著者らは新潟県村上市疎開します。昭和20年8月には、父親の事業の助手という名目で山形県を鉄道で移動します。丁度、8月15日の玉音放送米坂線今泉駅で迎えました。玉音放送を旅行中に迎えたということ、玉音放送の直後に列車に乗車したことというのが、いかにも著者らしい経験であると思います。このとき、玉音放送の直後に米坂線の列車が今泉駅に時刻通りに入線した様子が描かれています。著者のこの経験は、本書のハイライトといえるでしょう。玉音放送を精神的な境として、戦争が終わったとすると、玉音放送の前後において、日本の鉄道は時間的に断絶することなく運行を続けていたという事実は著者の心の中に強く記憶されます。私にとっても衝撃的な内容でした。鉄道が正確に運行するということは至極当たり前のことですが、日本史上最も重大と言ってもよい転換点においても、鉄道は動き続けたという事実が、鉄道の普遍性を私に強く認識させるため、強い衝撃を覚えるのだと思います。

戦争を生き延びることができた

著者は戦争を学生として過ごしました。昭和20年には旧制高校を卒業して、東京帝国大学に入学します。しかし、戦時中であるため、講義は十分に行われませんでした。また、著者は新潟県村上市疎開します。昭和20年3月には東京大空襲がありました。著者の実家は奇跡的に燃えずに残りましたが、それ以外の土地は焦土と化しました。結果的に著者は戦争を生き延びることができました。この時代に生きたものとして、この事実そのものが奇跡だと思います。生き延びたからこそ、戦前・戦中の貴重な鉄道体験を文章として今日まで残すことができました。

幼年・少年・青年の各時代における鉄道経験を自らの言葉で記述できた

著者ははじめ、東京帝国大学で地学を学びましたが、その後に、仏文科に移ります。そして、卒業後は中央公論社に就職しました。中央公論社では編集者として、たくさんの作家とさまざまな仕事を経験しました。この経験が作家としての著者の文章に大きな影響を与えたことは言うまでもありません。中央公論社の重役をへて退職し、著者は鉄道作家に転身します。本書や上記にあげた2冊を含めて、たくさんの著作を今日に残しています。

著者が若いころに文学に興味を持ち、中央公論社に入社して高い文章技術を身につけ、鉄道作家として多くの作品を著すという、連続した一連の過程こそが、鉄道趣味における奇跡です。豊富な鉄道経験を有していても、それを文章にしなければ後世には残りません。さらに、自らの貴重な経験を、広く人々に届かせる言葉を生み出したということが、この作品の価値の本源であると思います。