湯どうふ

木下是雄『理科系の作文技術』

 

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

 

 

この本は、日本語を進化させるために書かれたといっても過言ではない。本が書かれてすでにうん十年と経つが、本書に書かれていることは新鮮味を失わない。この本に書かれていることを理想とすると、現代における現実はまだまだ途上の段階にある。

私が感じたこの本が主張する一番重要なメッセージは「簡潔の追求」である。日本語のまどろこしさは母語話者でさえも感じることである。雰囲気で伝えるということが今日は難しくなっている。なぜなら、社会が多様性を許容する方向に向かっているため、前時代のような阿吽の呼吸に基づくコミュニケーションが成り立ちにくくなっているためである。多様性を許容するということは、社会が目指すべき方向である。だとすると、コミュニケーションのあり方を見直さなければならない。

本書はコミュニケーションの方法の中でも、文書を通じたコミュニケーションを再考することを主張している。現代における主要な文書は、ネットにおける文書表現である。ネット中の文書は玉石混交である。なぜなら、昔は、プロの物書きが書く文書しかメディアを通じて大衆に頒布されなかったのに対して、今日では素人の文書が全世界に発信されるためである。また、文書の量も圧倒的に増えており、膨大な文書の中から本当に有益なものを見抜く能力もより求められるようになった。そこで、有益な文書かどうかを判断する基準が書き手の作文能力である。ステレオタイプかもしれないが、私は作文能力によって文書にフィルターをかけて、読むべきものそうでないものを無意識的に選別している。

文書を書く能力はプロだけに求められるのではなく、私も含む普通の人々に対してこそ求められる。そのため、この本は日本語話者すべてに読む価値がある。

日本語は少しずつ進化している。大学受験を経験した人は現代文と古典の問題に取り組んだと思う。私は国語が苦手だった。特に現代文は同じ現代を生きる人が書いたとは思えないくらいに意味が分からなかった。自らの読解力のなさを棚に上げて、なんで作者は簡潔に日本語を書けないんだと勝手に非難していた。しかし、もっとよくわからないのは古文だった。そもそも、一文が長すぎる。平安時代とかと比べると、木下先生が主張する文章は、日本語の長い長い進化の過程の産物であると強く思う。

私もなるべく簡潔な文章を書けるように努めているつもりである。このブログの目的はまさにそこにあるが、向かう先の道は果てしない。