湯どうふ

北康利『銀行王 安田善次郎: 陰徳を積む』

 

銀行王 安田善次郎: 陰徳を積む (新潮文庫)

銀行王 安田善次郎: 陰徳を積む (新潮文庫)

 

  この本を読むまで、安田善次郎という実業家の存在を知りませんでした。そして、読了後には、この人物のなした業績に比べて、世間的な知名度が低いなという思いを強くしました。

 安田善次郎は近代以来「最大」の富豪です。一代で戦前日本で最大の安田銀行を築き上げました。安田銀行を中心とした安田財閥はいわゆる「金融財閥」です。同じく一代で浅野財閥を築いた浅野総一郎などの事業を資金的に支援して、日本の近代を支えました。

 この本を読んで、近代社会における「銀行家」の立場や役割がなんとなくわかった気がします。

 現代に生きる私からすると、銀行とはお堅い象徴のような感じがします。組織組織しているというか、お役所に近いイメージを抱いたりします。

 でも、安田善次郎の時代では、銀行=「銀行家」であるという印象を強く持ちます。特に、安田銀行で顕著だったようですが、本書の中で、ワンマンに経営されている描写が目立ちます。銀行家・安田善次郎の判断・能力によって、融資の決定や資本の配分、銀行の再建といった、政府からの頼まれ事がこなされていきます。

 安田銀行が近代日本において支配的な立場にたったころ、善次郎の下に、日本中の国立銀行を再建してくれという依頼が何度も飛び込みます。現代に生きる金融素人の私からすると、金融機関あるいは企業の再建というのは、政府がやるもんだと思っていました。しかし、善次郎は自らが損失する可能性を引き受けつつ、銀行の再建に尽力します。他の銀行を再建させるという仕事は、安田銀行にとって、うまみがあるとは思えません。ただただ、国家・社会に対する使命感がなければ、割に合わない仕事です。現在では政府がするべき仕事を、なぜかつては銀行家が担っていたんだろうかということを考えると、当時と現代とでは金融行政のレベルが全然違っていたんだろうと思いました。

この本の副題「隠徳を積む」とは、善次郎の行動原理でした。つまり、人さまにみせるような善行をよしとしませんでした。そのため、善次郎の仕事の全体とその意義を国民が知って理解することはできませんでした。戦前日本の限られた報道媒体のもとで情報を吸収していた、当時の国民の間では、善次郎はけちな大富豪として認識されていたようです。

戦前の日本では、国民内部の経済格差が重大な問題でした。善次郎のような資産家とその他多数の人々との間には、経済的に大きな隔たりがありました。隔たりは一部の国民にとって怒りとなり、善次郎がした仕事の全体と、一般庶民がもつ限定的なイメージのはざまで、善次郎は凶行に倒れます。

他人の本質と偏見(ステレオタイプ)との間に乖離がないか?

私はこの本を読み終えて初めて、安田善次郎が暗殺されたという事実を知りました。著名な人物が普段どのような仕事をしていて、それがどれくらい社会にとって重要なのかということを、現代の私たちも十分に知ることができているかと考えると、必ずしもそうでもないなと思います。人物の実態とその理解との間にギャップが存在すると、不適当な非難が生まれるなとこの本を読んで思いました。